Camera : OLYMPUS E-10
(C) Kouichi Suzuki



2003.4.7

筆だけが滑り、いつまでたっても形にならない。想いが足りないのか、感性が枯渇しているのか。焦燥は集中力を奪い、悪循環の輪はいよいよ激しく廻る。絶望の深淵と一瞬の光明の狭間にのた打ち回りながら夜明けを迎える。創り出す、という事はこれほどまでに消耗し、魂を削り取られるものだったか。もう創れない、逃げ出したい、と幾度も悲鳴を上げるのだけれど。
―― 人が作った物を弄くるのではなく、自分で創り出すから意味があるんだろう
英文学者であった祖父に、父は昔、そう反発したと聞く。その父も59歳の誕生日を迎えた。その言葉どおりの生き方をしてきたのだろうな、と想像する。幼少の頃に建築現場で見た父の姿と今の父の姿は、肉体こそ老いたりとはいえ依然として同じ方向を睨み続けている様に思える。
「創り出す事」の意味を信じ、それを貫いてきた人間がこれだけ身近に居ると、やっぱり自分も逃げ出す訳にはいかないよなあ…と思ったりもするわけで。
これが「父の背中」ってやつでしょうか。
よく判らんけど。